2010年3月6日土曜日

涙ポロポロ

年少組最後の朝に、息子は「先生が、ひよこ組はあと1日だけだって言ってたよ」と涙ぐみました。しばらくして、「ひよこ組大好きだったのに・・・」と涙ポロポロ。その日は幼稚園でも何度か涙ぐんでいたと先生に伺いました。何もわかっていないだろうと思っていたので、その様子に少しとまどいました。
そして始業式の朝、息子が「‘1ねんかんごくろうさまでした’ってお手紙書いて、先生に渡すんだ」と言うのです。ウワー、そこまで思いつくのね!いつの間にか成長していることが、嬉しく感じました。思えば、朝起きてから寝るまであれこれと世話を焼き、あたふたと1日を終える毎日、ゆっくり心と向き合っていませんでした。お母さんが変わろう!もっとたくさん一緒に遊ぼう!     K.T

2010年1月21日木曜日

あなたは理想の旗をおろせますか?

 私は毎月末、子供の幼稚園の「おはようブック」を開くのを楽しみにしている。毎日子供が幼稚園に行くとシールを貼る、懐かしいアレである。
 毎月末に先生が余白の通信欄に子供の様子を書いて知らせて下さるのだが、参観日などが少ない幼稚園では子供の様子がなかなかわからないので、これがとても助かるのだ。
 1クラス約30人。毎月毎月よくやって下さると思う。そして必ず子供の一生懸命やった所を認めて励ます言葉が入っている。なかなかほめる事柄のない時もあると思うが、毎月これを子供に読んで聞かせてあげると恥ずかしいような、でもうれしそうな顔をして聞いている。私たち親もこうしてわが子の良い所を見ているかな、と思わされる。
 いつの間にか大人の物差しで子供を見たり、他の子と比べたりしている所はないだろうか。(当たり前だが)子供はまだ子供だし、その子は世界にたった一人しかいないわが子なのだ。
 以前の講演会で、結城いずみ先生が子育ては子供に対して揚げていた(理想の)旗を一つずつ上手に降ろしていく事だと言われていた。言い換えればありのままの子供を受け入れていくことが大切とでも言おうか。良い所も悪い所もすべて受け止めて受け入れる母親になりたいと思わされた。(しかしこれがなかなか難しいのだけれど・・・)そういえば結城先生の本のタイトルは「春を待つ心」だったっけ。
 草木も芽を出しつぼみを張らせ、やがてきれいな花をつける。小さなつぼみのうちにそれを摘み取ってしまわないようにゆっくりゆっくり花の咲くのを楽しみに待つことを学んでいこう。(A.O)

2009年11月19日木曜日

保育園での恵み

その1<赦す>

 この4月から時間外保育士として、保育園で週5日、夕方の2時間を子供たちと遊んで過ごしています。その中のH君は、心の向くままに動き、みんなを困らせます。突き飛ばす、ひっぱる、取り上げるなどをされたら、「嫌だよ、やめてね」と言うように促します。子供たちは、泣きべそをかきながらも、そのままを伝えます。「ごめんね」の返事とともに、「いいよ」と赦しています。それが、日ごとにくり返されていますが、H君は仲間はずれなんかになりません。子供たちのように、赦して、回復して、また遊べるのは奇跡のようです。「子供ってすごい!主よ!私もこうありたいです!!」

その2<ひざの上>

 次男を、ひざ立てをした上に座らせてお話をすることを卒業して8年ぐらいになりますが、再び、あのぬくもりを感じることができ、とても得をしている気分です。今はたいていが、泣き出した子のお話を聞く時に、ひざの上に抱き寄せます。気がすむとストンと降りて、みんなのところに戻って行きます。その後ろ姿を見送りながら、私も一緒に元気を回復したように感じます。私にも同じようにして下さるイエス様、ハレルヤ感謝します!!

「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」ルカ18:17(聖書)  K.T.

2009年9月19日土曜日

ジェットコースターからコーヒーカップへ

みなさんは、子育てを楽しんでいらっしゃいますか?
子育てって山あり谷あり。一時のことだと自分に言い聞かせながら、果てしなく長い道のように感じてしまう。ちょっとしたことで一喜一憂し、なかなか休まりませんね。
私には中1の男の子、小5の男の子、小2の女の子がいます。21才で母親になったために他の保護者とは10才も離れていて「若い親だから・・・」と言われないようにかなり厳しく子ども達を躾ていました。もちろん子ども達を愛していましたし、子ども達の将来を考えて躾ていたつもりでしたが、実際は周りの目を気にしてばかり。毎日がジェットコースターのようでした。ジェットコースターは乗ったが最後、嫌でも翻弄されます。
今から8年前、長男が年中さんの時にしばらくぶりに教会へ通いだしました。 教会には赤ちゃんからご年配の方までと幅広い年代の方々がいます。 母親の先輩達から失敗談や成功談を聞いて感心したり、力や知恵をいただいたり、私の子ども達より少し大きい子に子どもの気持ちを聞いて軌道修正させてもらったり。
 今、私の子ども達は、日曜日が待ち遠しいようです。教会の中で幅広い年代の方々と関わり、甘えたり、叱られたり、労わったりとのびのび過ごしています。
また、このような関わりの中で、子ども達を育てているのは私だけじゃなく、教会の方々やイエス様である事に気付きました。そしていつのまにか、ジェットコースターからコーヒーカップに乗り換えていました。コーヒーカップは、自分でハンドルを回さなければ優雅なものです。私の意志に関係なく動くことに変わりはありませんが、景色を楽しむ余裕もあります。

私たち家族が、イエス様や教会の方々の温かいまなざしに包まれていること。
これが、ジェットコースターからコーヒーカップに乗り換える秘訣だったのでしょうね。(M.N.記)

2009年6月22日月曜日

敗北宣言

 まだ神様を信じる前、子供たちのランドセルには、神社で買ったお守りを付けていました。私は、ふと不安になりました。このお守りは子供たちを守ってくれるのから・・・?それまで疑問に思っていなかったことが、急に気になって、信じられなくなってきたのです。
 子供たちの事件・事故はたくさんあります。どの子も皆、大切に育てられ、かけがえのない命で、たとえば神社へ行き、お守りを買ってもらったりしたことでしょう。なのにどうして?良いことをすれば長生きできるでしょうか。神社で拝めば助かるでしょうか。子供を守ってもらえるという確信は、何一つないと思いました。
 その頃、聖書を読み始めました。私にとってそれは、まさに真理でした。『今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない。(申32:39)』―本当の神は、自分にとって都合のいい神様ではありませんでした。『神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)』という、絶対的な神でした。どう頑張っても自分の思うようにはならないし、生も死も神に支配されていると感じました。敗北宣言です。
 そして神様は自分勝手に生きていた自己中心の私を、主イエス、キリストによって救い、喜びで満たしてくださいました。
 今はもうお守りは必要ありません。神様に全てを委ね、全てを祈るのみです。委ねきれないところも多々ありますが・・・。そんな信仰の弱い私とともに祈ってくださる兄弟姉妹に、感謝します。そして、これから信仰の友となるかもしれない方々へ・・・よろしくお願いします。
『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。(マタイ18:19)』 (Mika記)

2009年6月4日木曜日

一切をゆだねて

 長女の出産の折り、予約した病院は分娩室も病室も満室で、私は新生児室内のベッドで助産婦の介助だけで出産しました。出産後すぐに赤ん坊と共に、別棟にある院長自宅の床の間のある部屋に寝かされました。私は出産の疲れも忘れて隣にいる珍しい赤ん坊に見入っていたところ、その小さい顔がみるみる紫色に変わっていくのです。付き添っていた実家の母が驚いて病院に駆け込み助産婦さんを呼んできました。口にビニール管を入れたり、逆さまにして背中をたたいたりして水のようなものを吐いた娘は、ようやく少しずつ赤みを取り戻していきました。 
 出産の興奮もさめない私が、目の当たりにした「死ぬかもしれない」という恐怖は全身の血を逆流させ。皮下出血の斑点が出て、眠ることができなくなってしまいました。
 その時母が、「どんな生死も人が決めることはできない。その子にふさわしい生命が与えられているのだから、短ければ短いなりの意味がある。決してあなたのせいではない」と私に話してくれました。自分の力ではどうしようも無いことがあると感じた始まりでした。
 三人の子どもに恵まれましたが、長女と長男は漏斗胸の手術、次女は川崎病と普通の人がしないような病気と手術もしました。しかし、長女が看護婦になりたいと言い出した時、弟妹と共に病院通いの多かった事も決してマイナスでは無かったことを知りました。ベッドや布団の上で親が出来ることは本の読み聞かせぐらいでしたが、おかげで三人とも本が大好きになりました。
 「布団遠足も面白かったよな」と最近こども三人集まった時息子が話してくれました。病気で遠足にいけない子供に、行く時と同じようにリュックにお弁当やお菓子をつめて、布団の上で旅行記などを読んでやるのです。お昼になると、リュックからシートを取り出して布団の上に敷いてお弁当を広げて食べます。雰囲気だけでもと思った親心はしっかり受け止めていたようです。
 当時の私は、一切をゆだねる対象が神様だとは知りませんでしたが、その気持ちがあったからこそ、どんな環境にあっても希望を持って知恵を働かせる事が出来たように思います。 (M.H)

2009年5月30日土曜日

私は牛飼い

 先日子牛が生まれました。雌だったのでこの牛が一人前、否、成牛となって働き出すのは2年後からです。順調に育って15ヶ月で種付けし、それから9ヶ月で出産、計24ヶ月かかるわけです。
 牛の場合も生まれ落ちたその時から細心の注意と折々の世話が必要となってきます。まず臍の緒の処理(切り口をヨード液などで化膿予防)、早く抵抗力をつけさせるため速やかに母乳の給与。そして一週間で人工乳に慣れさせ一ヶ月で乳離れ。その後は、良質の草を主体に穀類の配合などで体重にあわせ、たんぱく質、養分、総量を増加してゆきます。
 6ヶ月~12ヶ月令は、特に過肥に注意しながらどんどん食い込ませ腹を(胃袋を)大きくし、同時に運動も十分させて足腰を丈夫に強くさせます。この時の健康管理がその牛の将来の働きを左右します。
 すべてが健全ではじめて、繁殖も泌乳も、その牛の機能を十分に発揮するのですから。
 『主は私の羊飼い』
 詩篇23篇の御言葉は本当に私をどんな時にも平安な思いにしてくれます。完全なる主ご自身が“私の羊飼い”であるとは!!
 全能の主ご自身が私を管理していてくださるとは!!!    (T.N)