2009年6月22日月曜日

敗北宣言

 まだ神様を信じる前、子供たちのランドセルには、神社で買ったお守りを付けていました。私は、ふと不安になりました。このお守りは子供たちを守ってくれるのから・・・?それまで疑問に思っていなかったことが、急に気になって、信じられなくなってきたのです。
 子供たちの事件・事故はたくさんあります。どの子も皆、大切に育てられ、かけがえのない命で、たとえば神社へ行き、お守りを買ってもらったりしたことでしょう。なのにどうして?良いことをすれば長生きできるでしょうか。神社で拝めば助かるでしょうか。子供を守ってもらえるという確信は、何一つないと思いました。
 その頃、聖書を読み始めました。私にとってそれは、まさに真理でした。『今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない。(申32:39)』―本当の神は、自分にとって都合のいい神様ではありませんでした。『神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)』という、絶対的な神でした。どう頑張っても自分の思うようにはならないし、生も死も神に支配されていると感じました。敗北宣言です。
 そして神様は自分勝手に生きていた自己中心の私を、主イエス、キリストによって救い、喜びで満たしてくださいました。
 今はもうお守りは必要ありません。神様に全てを委ね、全てを祈るのみです。委ねきれないところも多々ありますが・・・。そんな信仰の弱い私とともに祈ってくださる兄弟姉妹に、感謝します。そして、これから信仰の友となるかもしれない方々へ・・・よろしくお願いします。
『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。(マタイ18:19)』 (Mika記)

2009年6月4日木曜日

一切をゆだねて

 長女の出産の折り、予約した病院は分娩室も病室も満室で、私は新生児室内のベッドで助産婦の介助だけで出産しました。出産後すぐに赤ん坊と共に、別棟にある院長自宅の床の間のある部屋に寝かされました。私は出産の疲れも忘れて隣にいる珍しい赤ん坊に見入っていたところ、その小さい顔がみるみる紫色に変わっていくのです。付き添っていた実家の母が驚いて病院に駆け込み助産婦さんを呼んできました。口にビニール管を入れたり、逆さまにして背中をたたいたりして水のようなものを吐いた娘は、ようやく少しずつ赤みを取り戻していきました。 
 出産の興奮もさめない私が、目の当たりにした「死ぬかもしれない」という恐怖は全身の血を逆流させ。皮下出血の斑点が出て、眠ることができなくなってしまいました。
 その時母が、「どんな生死も人が決めることはできない。その子にふさわしい生命が与えられているのだから、短ければ短いなりの意味がある。決してあなたのせいではない」と私に話してくれました。自分の力ではどうしようも無いことがあると感じた始まりでした。
 三人の子どもに恵まれましたが、長女と長男は漏斗胸の手術、次女は川崎病と普通の人がしないような病気と手術もしました。しかし、長女が看護婦になりたいと言い出した時、弟妹と共に病院通いの多かった事も決してマイナスでは無かったことを知りました。ベッドや布団の上で親が出来ることは本の読み聞かせぐらいでしたが、おかげで三人とも本が大好きになりました。
 「布団遠足も面白かったよな」と最近こども三人集まった時息子が話してくれました。病気で遠足にいけない子供に、行く時と同じようにリュックにお弁当やお菓子をつめて、布団の上で旅行記などを読んでやるのです。お昼になると、リュックからシートを取り出して布団の上に敷いてお弁当を広げて食べます。雰囲気だけでもと思った親心はしっかり受け止めていたようです。
 当時の私は、一切をゆだねる対象が神様だとは知りませんでしたが、その気持ちがあったからこそ、どんな環境にあっても希望を持って知恵を働かせる事が出来たように思います。 (M.H)