2009年4月29日水曜日

子育てによく効く薬

 そんな薬があったら、すぐ使ったことでしょう。「子育てに良く効く薬」は「よく聞く薬」。これはよく聞く言葉です。いざ自分の手に負えないことを子供がやると、親は理性を失い、自分の意見を押し付けたくなります。どんな良い育児書を読んだり、教育講演を聴いて理解したつもりでも、現実はそうは行きません(私の場合)。
 最近、雑誌「百万人の福音」の”子育てはわずらわしい?!”の特集記事の中に「心底聞いてくれる人を持っている人は本当に幸いです。」と書いてありました。一人で悩んでいないで、子供を持つ友と話している間に解決が得られる場合が多々あったように思います。
 最近、高級官僚の汚職、自殺をよく耳にします。たぶんその親は苦しんでいることでしょう。しかし、ある時点までは子供を育てるのに成功した!と思っていたことでしょう。神様から見れば、人間は弱く罪を犯しやすい存在なのですから、子育てについても、失敗もあることでしょう。時々反省し、軌道修正したりしてやっていけばいいのではないのでしょうか。 
 私も子が与えられて30数年になりますが、まだまだ親子の関係はなくなりません。これからも色々なことがあるでしょう。その解決策は愛。聖書の中より知恵をいただきたいと思います。
 「愛は慣用であり、愛は親切です。また人をねたみません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じすべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」 Ⅰコリント 13章4~7節  (M.Y)

2009年4月24日金曜日

正しくなくても

 我が家の長男は丈夫な子で、医者知らずです。ところが次男は少し弱い子で、通院回数が多く、体質改善の薬も毎日毎晩飲んでいます。それを見ている長男は薬(シロップ)が飲みたくてたまりません。「僕にも」と口を開いて待っています。「これは風邪薬なの。お兄ちゃんは風邪ひいていないから飲まなくてもいいの」「少しだけ」「だ~め」などという会話をいつもしていました。
 あるとき、ユニケの会で読んでいる『小さなおうちからの贈り物』(片岡栄子著)の中で「毎日足に薬を塗ってもらう弟の水虫をうらやましがる兄に、水虫の説明をするよりは、根治水をぬってやったほうが納得したかもしれない。自分と同じほど愛されている者が他にいることで寂しいと感じさせるのはやはり愛情不足なのだろうか」を読んだ時、長男にも薬を飲ませてあげようと思いました。その日から弟が飲んだ残りを口の中に「チュッ」としてあげると「あま~い、おいしい」と満足した顔をしていました。私も「だ~め」を言わずにすんで気が楽になりました。これでもいいんだ、正しいやり方でなくても人に優しい方がいいなと思いました。
 その長男が最近、顔と首にカブレが出来て、初めて自分の薬をもらいました。「これは、お兄ちゃんのだからね」とそれはそれは嬉しそうでした。長男の顔に難航を塗りながら、案外このカブレは「神様からのプレゼント」かもしれない、と思うと顔のブツブツが急にユーモラスに見えてきて、涙が出るほど笑っちゃいました。「プレゼント?」と不思議そうな顔をしていた長男もつられて笑い出しました。(K.T記)

2009年4月23日木曜日

ごめんね

 カッとして小さな娘を叱ることがあります。つまらない小言を並びたてることがあります。そしてなぜあんなに叱ったのだろうと後悔することがあります。冷静になって考えてみると結局、娘に原因があるというよりも、忙しかったり,虫のいどころが悪かったりした自分に起因していることが多々あります。悪かったなぁとは思っても、親の変なプライドが邪魔をして、素直に「ごめんね」とはいえないものです。
 先週、めずらしく夫とけんかをしました。原因は犬も食わないことでしたが、口論になり、しばらく冷戦しました。一応、私が腑に落ちない気持ちを理性で封じ込めてその場をしのぎ、ある意味で平和が戻りました。ところが、翌朝、夫から突然「昨日はごめんね。よく考えたらやっぱりぼくが悪かった」とのおことば。自然消滅しかかっていた心が一度に癒されました。そして夫に対する尊敬と愛情も増えました。心のこもった『ごめんね』の優しさを肌で感じました。
 そんな後日、ささいなことで、娘にあたってしまいました。ーきっと傷ついているだろう。これは謝らなければいけない・・・。と思い「○○ちゃん、さっきは怒ってごめんね」と言うと、娘は「うん、○○もごめんね」と言いました。友だち同士の仲直りのようでした。心がほっとする瞬間でした。(M.Y記)

2009年4月20日月曜日

ろばの子のできたわけ

 今から約7年ほどまえのある日の事です。(*この文章は1999年に書かれたので1992年のことです)教会学校の幼稚科のM子先生とS子先生が話していました。

M子;あぁ、学校が始まって3ヶ月にもなるというのに生徒が一人も来ないなんて、何とかしなければね
S子;うん、そうだ、それなら待っていないで、こちらから捜しにいきましょうよ。
 
S子先生はすぐに小さな子供のいるお母さんにアタック。

おかあさん;私としましては幼稚園前の子供達のために普通の日に集まりを開いてほしいなぁと思うのですが・・・
「それだ!」S子先生はM子先生と相談して、教会が行っている幼児教室を捜しました。ちょうど折りよく横浜に見学会を開いている教会を見つけてさっそく出かけました。東京で2泊して横浜へ通った勉強会でした。
 それから浦和,久喜の教会にも見学に行きどうやら手探りですが、少しづつ形が出来上がっていき、名前もろばの子学級とつけました。
 試行錯誤の失敗だらけの出発でしたが、お母さん達に助けられ感謝でした。その中でも忘れられないのは、高橋牧師の「お母さんがんばって」の聖書のお話でした。先生は途中から病気(がん)になられお辛い時にあっても力の限り続けて下さり、94年1月28日天の国に帰って行かれました。短い間でしたが、本当に優しい笑顔で子供達をだっこしておられたお姿が今でも目に焼きついて離れません。
新年度の3ヶ月、私たちの幼稚科に生徒がきていたならろばの子は生まれていなかったのです。何とも不思議なことではないでしょうか。今、元気いっぱいに集まってくるろばの子さん達を見ながら神の祝福をそこに見る思いです。
 神のなさることは、すべて時にかなって美しい  (伝道者の書 3:11)     S.K.記