2009年6月4日木曜日

一切をゆだねて

 長女の出産の折り、予約した病院は分娩室も病室も満室で、私は新生児室内のベッドで助産婦の介助だけで出産しました。出産後すぐに赤ん坊と共に、別棟にある院長自宅の床の間のある部屋に寝かされました。私は出産の疲れも忘れて隣にいる珍しい赤ん坊に見入っていたところ、その小さい顔がみるみる紫色に変わっていくのです。付き添っていた実家の母が驚いて病院に駆け込み助産婦さんを呼んできました。口にビニール管を入れたり、逆さまにして背中をたたいたりして水のようなものを吐いた娘は、ようやく少しずつ赤みを取り戻していきました。 
 出産の興奮もさめない私が、目の当たりにした「死ぬかもしれない」という恐怖は全身の血を逆流させ。皮下出血の斑点が出て、眠ることができなくなってしまいました。
 その時母が、「どんな生死も人が決めることはできない。その子にふさわしい生命が与えられているのだから、短ければ短いなりの意味がある。決してあなたのせいではない」と私に話してくれました。自分の力ではどうしようも無いことがあると感じた始まりでした。
 三人の子どもに恵まれましたが、長女と長男は漏斗胸の手術、次女は川崎病と普通の人がしないような病気と手術もしました。しかし、長女が看護婦になりたいと言い出した時、弟妹と共に病院通いの多かった事も決してマイナスでは無かったことを知りました。ベッドや布団の上で親が出来ることは本の読み聞かせぐらいでしたが、おかげで三人とも本が大好きになりました。
 「布団遠足も面白かったよな」と最近こども三人集まった時息子が話してくれました。病気で遠足にいけない子供に、行く時と同じようにリュックにお弁当やお菓子をつめて、布団の上で旅行記などを読んでやるのです。お昼になると、リュックからシートを取り出して布団の上に敷いてお弁当を広げて食べます。雰囲気だけでもと思った親心はしっかり受け止めていたようです。
 当時の私は、一切をゆだねる対象が神様だとは知りませんでしたが、その気持ちがあったからこそ、どんな環境にあっても希望を持って知恵を働かせる事が出来たように思います。 (M.H)

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