2009年5月30日土曜日

私は牛飼い

 先日子牛が生まれました。雌だったのでこの牛が一人前、否、成牛となって働き出すのは2年後からです。順調に育って15ヶ月で種付けし、それから9ヶ月で出産、計24ヶ月かかるわけです。
 牛の場合も生まれ落ちたその時から細心の注意と折々の世話が必要となってきます。まず臍の緒の処理(切り口をヨード液などで化膿予防)、早く抵抗力をつけさせるため速やかに母乳の給与。そして一週間で人工乳に慣れさせ一ヶ月で乳離れ。その後は、良質の草を主体に穀類の配合などで体重にあわせ、たんぱく質、養分、総量を増加してゆきます。
 6ヶ月~12ヶ月令は、特に過肥に注意しながらどんどん食い込ませ腹を(胃袋を)大きくし、同時に運動も十分させて足腰を丈夫に強くさせます。この時の健康管理がその牛の将来の働きを左右します。
 すべてが健全ではじめて、繁殖も泌乳も、その牛の機能を十分に発揮するのですから。
 『主は私の羊飼い』
 詩篇23篇の御言葉は本当に私をどんな時にも平安な思いにしてくれます。完全なる主ご自身が“私の羊飼い”であるとは!!
 全能の主ご自身が私を管理していてくださるとは!!!    (T.N)

2009年5月22日金曜日

わが家の日記

 その1  わが家では結婚した当時の牧師の勧めでテレビを見せないで子育てをすることに決心し、実行しています。その後、長男の5歳のときから週に1回ウルトラマンの番組だけは見ても良いことにしました。情報は絵本とテープ・CDで得なくてはならないので、本をよく読むようになり、寝る前に2.3冊の本を読んであげるのが習慣になりました。また二人ともブロック遊びが好きです。
市の図書館で毎週5冊絵本を借りてきます。紙芝居も借りてきて、気に入ったものは何回も読んであげます。特に3匹の子豚のお話は好きです。最近、長男が次男にお話を読んで上げている姿に驚きました。
 仕事が忙しかったりして、なかなか遊んであげられない減点パパですが、絵本を読む楽しい時間を共有した体験が、これからこの子たちの人生の内的な原動力となってほしいというのが、父親の願いです。
 その2  「次男が入院しました。」職場に電話がかかってくる。「またか。アーア」1歳半から2歳までに5回、その後も4歳になるまでに4回、喘息発作のため(時には肺炎も併発)入院した。妻は毎回付き添って点滴治療の日々(同じベッドで寝起きするので大変)。家族全員の忍耐の日々は1週間から十日ぐらい続く。いたって丈夫な長男は妻の実家にあずけられ、幼稚園を不本意にも休まざるをえない。次男のカルテは分厚くなって、担当医や看護婦さん達に「また帰ってきたの!」と言われ、有名になってしまった。・・・その後4歳を過ぎて約半年の現在、危ない時もありましたが、かろうじて入院をまぬかれています。祈りと願いに答えてくださる神様に感謝しております。
 -聖書の言葉ー
 主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は。弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのである。   第Ⅱコリント 12章9節         (S.T)

2009年5月14日木曜日

そのまんまで愛してくれたから

 「大草原の小さな家」のようなクリスチャンホームが私の夢でした。でも、実際は大きく違っていました。長男はとにかくじっとしていられない子で、教会の礼拝中はいつも肩身の狭い思いをしていました。次男はもっと大変でした。小学校に入るまで、喘息があり、夜はあまり眠れませんでした。その上、昼間はいたずら放題。とても子供をかわいいいと思う余裕はありませんでした。
  ある時、同じクラスのお母さんが近くの神社のお祭りに連れて行ってくれると言うので、拝ませないよぷにと言ってお願いしました。30分もたたないうちに帰って来て、様子がおかしいので聞いてみると、神社の下に並んでいる車の上に二人並んでおしっこをしたらしく、早々に帰って来たのだそうです。「何でそんなことをしたの?」ときくと「虹が見たかった」と言っていました。また、ある時は近所の農家から電話があって、庭につないでいた犬に向かって「鬼は外」と言って洗濯バサミをぶつけたらしく、菓子折りを持って謝りに行きました。その他数え切れないほど謝りました。理想と現実のギャップにも悩みました。
 でも、神様は、そのまんまの私たちを赦し愛して下さっています。聖書に、愛するお手本がありました。神様はどんな人をも、そのままの姿で愛し、受け入れて下さいます。そのまんまで、子供を受け入れることが、子供を愛することだと気がつきました。それからは、謝ることが苦にならなくなりました。
 「謝ることが子供を守る」が私の子育て標語になりました。今は、次男も中1になり、謝ることもなくなりました。そしてそんな次男が1番私に学校や友人のお話をしてくれます。
 まだまだ、子育て真っ最中ですが、途中はともあれ、神と人とに愛される子に育ってくれればと願っています。 (N.O記)

2009年5月7日木曜日

友情

 私の下の息子の苦労話を少し書きます。現在42歳と38歳ですが小さい時の事が昨日の様に思い出されます。長男はスマートに物事をこなしていきましたが、次男はスローペースでした。それに準肥満体で体育が一番苦手でした。3年生の冬の寒い日、暗くなっても帰宅せず心配になり学校に電話を入れました。受け持ちの先生は『今帰りました。彼は逆上がりが出来なかったので出来るまで練習をしました。友達も一緒に残ってくれがんばりましたよ」と言われました。又、6年生の運動会の時です。1500メートルの持久走に自己志願しました、彼はどんなつもりなのでしょう。何週も遅れるのは目にみえているのに・・・。
 しかし彼は早朝マラソンから始めました。六時に起床、町内一周を毎日運動会の日まで続けました。当日最後のハイライト1500メートルの持久走。6年生の精鋭が並ぶ中に肥った彼がいるのですから私はハラハラドキドキです。『神様無事に走らせて下さい」と祈るばかりでした。
 人影からそっと覗いていました。スタートからどんどん話され最後は2,3週遅れていましたが独り走り続ける姿にクラスメートが飛び出してきて『ガンバレがんばれ」とエールを送り、最後は共にゴールまで走ってくれました。いい友達に恵まれ完走することができたのでした。私は神様にお礼を申し上げました。彼が完走できたのも又、友の助けによるものでした。その後社会人になってさまざまな困難に面し頑張れるのは、子供の頃の暖かい友情によって育まれた結果だと思います。 (H.S記)

2009年5月1日金曜日

友よ今幸せですか?

 人生の何たるかも知らなかった中学生のときの私達の誓いを覚えていますか?「10年に一度会っても親友でいよう、いつ会っても今が一番幸せと言おうね。」50年も生きていると、つらいこと悲しいこともあったけれど、神の愛を、神さまは常に最善をされることを本当に信じるなら、今も幸せ、明日にも希望があると言おうね。
 『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。(Ⅰテサロニケ 5:16~18)』私の好きな聖書の言葉です。人は触れるものに似ると聞きました。いいものに触れ、いつも最善を心に描き、前向きに肯定的に生きるのが魅力ある人生の秘訣だそうです。何ができるとか何かを持っているとかではなく、ただ生かされている今を感謝し、美しいものに感動し、心に喜びを持ち続けることができたら、それが幸せで、それが生きる力となるのではないかしら。
 私は今幸せです。多くのろばの子達が私に幸せをくれるんです。最初来たときは泣いていたろばの子ちゃんが、私を見上げて顔いっぱいに親愛の情を込めてにこにこ笑いかけてくれたのです。私に抱っこさせてくれたのです。おんぶされていた子が歩けるようになって、ごはんをちょうだいと大きく口を開けるのです。ママではない私に。彼らの目は何かを追って輝き、いつの間にか多くのものを吸収しています。彼らの成長には本当に感動すら覚えます。自分が奉仕していると思っていたのに、実は小さなろばの子ちゃん達からたくさんの幸せをもらっていました。ろばの子ちゃん達ありがとう。ろばの子を育ててくれているお母さん達ありがとう。バアバはただただろばの子達がかわいくて甘やかしたり間違ったことをしてしまうかもしれません。ろばの子はすぐに大きくなります。一時のこととして許して下さいね。
 友よ、私は今少し肩の力を抜いて安らぎがあり幸せです。又会う時も、「神さま、『あなたの恵みは私に十分です。』(Ⅰコリント12:9)」といいましょう。    (T.O)