2009年9月19日土曜日

ジェットコースターからコーヒーカップへ

みなさんは、子育てを楽しんでいらっしゃいますか?
子育てって山あり谷あり。一時のことだと自分に言い聞かせながら、果てしなく長い道のように感じてしまう。ちょっとしたことで一喜一憂し、なかなか休まりませんね。
私には中1の男の子、小5の男の子、小2の女の子がいます。21才で母親になったために他の保護者とは10才も離れていて「若い親だから・・・」と言われないようにかなり厳しく子ども達を躾ていました。もちろん子ども達を愛していましたし、子ども達の将来を考えて躾ていたつもりでしたが、実際は周りの目を気にしてばかり。毎日がジェットコースターのようでした。ジェットコースターは乗ったが最後、嫌でも翻弄されます。
今から8年前、長男が年中さんの時にしばらくぶりに教会へ通いだしました。 教会には赤ちゃんからご年配の方までと幅広い年代の方々がいます。 母親の先輩達から失敗談や成功談を聞いて感心したり、力や知恵をいただいたり、私の子ども達より少し大きい子に子どもの気持ちを聞いて軌道修正させてもらったり。
 今、私の子ども達は、日曜日が待ち遠しいようです。教会の中で幅広い年代の方々と関わり、甘えたり、叱られたり、労わったりとのびのび過ごしています。
また、このような関わりの中で、子ども達を育てているのは私だけじゃなく、教会の方々やイエス様である事に気付きました。そしていつのまにか、ジェットコースターからコーヒーカップに乗り換えていました。コーヒーカップは、自分でハンドルを回さなければ優雅なものです。私の意志に関係なく動くことに変わりはありませんが、景色を楽しむ余裕もあります。

私たち家族が、イエス様や教会の方々の温かいまなざしに包まれていること。
これが、ジェットコースターからコーヒーカップに乗り換える秘訣だったのでしょうね。(M.N.記)

2009年6月22日月曜日

敗北宣言

 まだ神様を信じる前、子供たちのランドセルには、神社で買ったお守りを付けていました。私は、ふと不安になりました。このお守りは子供たちを守ってくれるのから・・・?それまで疑問に思っていなかったことが、急に気になって、信じられなくなってきたのです。
 子供たちの事件・事故はたくさんあります。どの子も皆、大切に育てられ、かけがえのない命で、たとえば神社へ行き、お守りを買ってもらったりしたことでしょう。なのにどうして?良いことをすれば長生きできるでしょうか。神社で拝めば助かるでしょうか。子供を守ってもらえるという確信は、何一つないと思いました。
 その頃、聖書を読み始めました。私にとってそれは、まさに真理でした。『今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない。(申32:39)』―本当の神は、自分にとって都合のいい神様ではありませんでした。『神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)』という、絶対的な神でした。どう頑張っても自分の思うようにはならないし、生も死も神に支配されていると感じました。敗北宣言です。
 そして神様は自分勝手に生きていた自己中心の私を、主イエス、キリストによって救い、喜びで満たしてくださいました。
 今はもうお守りは必要ありません。神様に全てを委ね、全てを祈るのみです。委ねきれないところも多々ありますが・・・。そんな信仰の弱い私とともに祈ってくださる兄弟姉妹に、感謝します。そして、これから信仰の友となるかもしれない方々へ・・・よろしくお願いします。
『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。(マタイ18:19)』 (Mika記)

2009年6月4日木曜日

一切をゆだねて

 長女の出産の折り、予約した病院は分娩室も病室も満室で、私は新生児室内のベッドで助産婦の介助だけで出産しました。出産後すぐに赤ん坊と共に、別棟にある院長自宅の床の間のある部屋に寝かされました。私は出産の疲れも忘れて隣にいる珍しい赤ん坊に見入っていたところ、その小さい顔がみるみる紫色に変わっていくのです。付き添っていた実家の母が驚いて病院に駆け込み助産婦さんを呼んできました。口にビニール管を入れたり、逆さまにして背中をたたいたりして水のようなものを吐いた娘は、ようやく少しずつ赤みを取り戻していきました。 
 出産の興奮もさめない私が、目の当たりにした「死ぬかもしれない」という恐怖は全身の血を逆流させ。皮下出血の斑点が出て、眠ることができなくなってしまいました。
 その時母が、「どんな生死も人が決めることはできない。その子にふさわしい生命が与えられているのだから、短ければ短いなりの意味がある。決してあなたのせいではない」と私に話してくれました。自分の力ではどうしようも無いことがあると感じた始まりでした。
 三人の子どもに恵まれましたが、長女と長男は漏斗胸の手術、次女は川崎病と普通の人がしないような病気と手術もしました。しかし、長女が看護婦になりたいと言い出した時、弟妹と共に病院通いの多かった事も決してマイナスでは無かったことを知りました。ベッドや布団の上で親が出来ることは本の読み聞かせぐらいでしたが、おかげで三人とも本が大好きになりました。
 「布団遠足も面白かったよな」と最近こども三人集まった時息子が話してくれました。病気で遠足にいけない子供に、行く時と同じようにリュックにお弁当やお菓子をつめて、布団の上で旅行記などを読んでやるのです。お昼になると、リュックからシートを取り出して布団の上に敷いてお弁当を広げて食べます。雰囲気だけでもと思った親心はしっかり受け止めていたようです。
 当時の私は、一切をゆだねる対象が神様だとは知りませんでしたが、その気持ちがあったからこそ、どんな環境にあっても希望を持って知恵を働かせる事が出来たように思います。 (M.H)

2009年5月30日土曜日

私は牛飼い

 先日子牛が生まれました。雌だったのでこの牛が一人前、否、成牛となって働き出すのは2年後からです。順調に育って15ヶ月で種付けし、それから9ヶ月で出産、計24ヶ月かかるわけです。
 牛の場合も生まれ落ちたその時から細心の注意と折々の世話が必要となってきます。まず臍の緒の処理(切り口をヨード液などで化膿予防)、早く抵抗力をつけさせるため速やかに母乳の給与。そして一週間で人工乳に慣れさせ一ヶ月で乳離れ。その後は、良質の草を主体に穀類の配合などで体重にあわせ、たんぱく質、養分、総量を増加してゆきます。
 6ヶ月~12ヶ月令は、特に過肥に注意しながらどんどん食い込ませ腹を(胃袋を)大きくし、同時に運動も十分させて足腰を丈夫に強くさせます。この時の健康管理がその牛の将来の働きを左右します。
 すべてが健全ではじめて、繁殖も泌乳も、その牛の機能を十分に発揮するのですから。
 『主は私の羊飼い』
 詩篇23篇の御言葉は本当に私をどんな時にも平安な思いにしてくれます。完全なる主ご自身が“私の羊飼い”であるとは!!
 全能の主ご自身が私を管理していてくださるとは!!!    (T.N)

2009年5月22日金曜日

わが家の日記

 その1  わが家では結婚した当時の牧師の勧めでテレビを見せないで子育てをすることに決心し、実行しています。その後、長男の5歳のときから週に1回ウルトラマンの番組だけは見ても良いことにしました。情報は絵本とテープ・CDで得なくてはならないので、本をよく読むようになり、寝る前に2.3冊の本を読んであげるのが習慣になりました。また二人ともブロック遊びが好きです。
市の図書館で毎週5冊絵本を借りてきます。紙芝居も借りてきて、気に入ったものは何回も読んであげます。特に3匹の子豚のお話は好きです。最近、長男が次男にお話を読んで上げている姿に驚きました。
 仕事が忙しかったりして、なかなか遊んであげられない減点パパですが、絵本を読む楽しい時間を共有した体験が、これからこの子たちの人生の内的な原動力となってほしいというのが、父親の願いです。
 その2  「次男が入院しました。」職場に電話がかかってくる。「またか。アーア」1歳半から2歳までに5回、その後も4歳になるまでに4回、喘息発作のため(時には肺炎も併発)入院した。妻は毎回付き添って点滴治療の日々(同じベッドで寝起きするので大変)。家族全員の忍耐の日々は1週間から十日ぐらい続く。いたって丈夫な長男は妻の実家にあずけられ、幼稚園を不本意にも休まざるをえない。次男のカルテは分厚くなって、担当医や看護婦さん達に「また帰ってきたの!」と言われ、有名になってしまった。・・・その後4歳を過ぎて約半年の現在、危ない時もありましたが、かろうじて入院をまぬかれています。祈りと願いに答えてくださる神様に感謝しております。
 -聖書の言葉ー
 主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は。弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのである。   第Ⅱコリント 12章9節         (S.T)

2009年5月14日木曜日

そのまんまで愛してくれたから

 「大草原の小さな家」のようなクリスチャンホームが私の夢でした。でも、実際は大きく違っていました。長男はとにかくじっとしていられない子で、教会の礼拝中はいつも肩身の狭い思いをしていました。次男はもっと大変でした。小学校に入るまで、喘息があり、夜はあまり眠れませんでした。その上、昼間はいたずら放題。とても子供をかわいいいと思う余裕はありませんでした。
  ある時、同じクラスのお母さんが近くの神社のお祭りに連れて行ってくれると言うので、拝ませないよぷにと言ってお願いしました。30分もたたないうちに帰って来て、様子がおかしいので聞いてみると、神社の下に並んでいる車の上に二人並んでおしっこをしたらしく、早々に帰って来たのだそうです。「何でそんなことをしたの?」ときくと「虹が見たかった」と言っていました。また、ある時は近所の農家から電話があって、庭につないでいた犬に向かって「鬼は外」と言って洗濯バサミをぶつけたらしく、菓子折りを持って謝りに行きました。その他数え切れないほど謝りました。理想と現実のギャップにも悩みました。
 でも、神様は、そのまんまの私たちを赦し愛して下さっています。聖書に、愛するお手本がありました。神様はどんな人をも、そのままの姿で愛し、受け入れて下さいます。そのまんまで、子供を受け入れることが、子供を愛することだと気がつきました。それからは、謝ることが苦にならなくなりました。
 「謝ることが子供を守る」が私の子育て標語になりました。今は、次男も中1になり、謝ることもなくなりました。そしてそんな次男が1番私に学校や友人のお話をしてくれます。
 まだまだ、子育て真っ最中ですが、途中はともあれ、神と人とに愛される子に育ってくれればと願っています。 (N.O記)

2009年5月7日木曜日

友情

 私の下の息子の苦労話を少し書きます。現在42歳と38歳ですが小さい時の事が昨日の様に思い出されます。長男はスマートに物事をこなしていきましたが、次男はスローペースでした。それに準肥満体で体育が一番苦手でした。3年生の冬の寒い日、暗くなっても帰宅せず心配になり学校に電話を入れました。受け持ちの先生は『今帰りました。彼は逆上がりが出来なかったので出来るまで練習をしました。友達も一緒に残ってくれがんばりましたよ」と言われました。又、6年生の運動会の時です。1500メートルの持久走に自己志願しました、彼はどんなつもりなのでしょう。何週も遅れるのは目にみえているのに・・・。
 しかし彼は早朝マラソンから始めました。六時に起床、町内一周を毎日運動会の日まで続けました。当日最後のハイライト1500メートルの持久走。6年生の精鋭が並ぶ中に肥った彼がいるのですから私はハラハラドキドキです。『神様無事に走らせて下さい」と祈るばかりでした。
 人影からそっと覗いていました。スタートからどんどん話され最後は2,3週遅れていましたが独り走り続ける姿にクラスメートが飛び出してきて『ガンバレがんばれ」とエールを送り、最後は共にゴールまで走ってくれました。いい友達に恵まれ完走することができたのでした。私は神様にお礼を申し上げました。彼が完走できたのも又、友の助けによるものでした。その後社会人になってさまざまな困難に面し頑張れるのは、子供の頃の暖かい友情によって育まれた結果だと思います。 (H.S記)